お笑い批評① はじめに

はじめに

2017年の12月14日から「「お笑い」の批評」という連載を開始しました。今までは半年に1回の文学フリマに向けて執筆するスタイルでしたが、どうしても執筆が開催前に集中してしまうため分量の少ないものになってしまっていました。それならばと、章ごとに公開していくことで徐々に蓄積していく方法がいいのではないかと思い、始めました。

「お笑い」の批評をやろうとおもったきっかけは、最近みた「ドキュメンタル」という実験的なバラエティ番組と、M12017の2つをみて、論じたいことがたまってきたからです。

両者には「お笑い」の行く末を担う大きな流れを感じました。ドキュメンタルは新しいお笑いの形を模索する実験的な内容でした。M1は革新的なネタを行ったジャルジャルが準決勝6位で敗退しています。番組と漫才という形は違えど、革新と保守という構図が明確化したような気がしました。この構図は民法放送とネットストリーミングでの自由度の違いも関係してくるかもしれません。ですが「革新」の部分がもう少し詳細に論じられてもいいのではないか、と考えました。

お笑い批評というと、お笑い芸人の経歴とショーレースの結末を物語的に消費するのが一般的となっていますが、音楽でいう楽曲派のようにネタの革新性を論じていくことにおもしろみを感じました。ですがお笑いはネタを分析する、ということはあまり行われていません。その理由としてネタを分析することで観客は笑えなくなってしまう、という理由があるかと思います。またそういった分析をする観客を批判するお笑い芸人も存在します。その源流はお笑いショーレースの審査員制度に意義を唱える大御所も関係してくると思います。しかしネタの構造を分析することを楽しみとすることも自由であるかと思います。そのあたりも整理できればと考えています。

さて連載という形で1回目を書き始めてみましたが、まとまった文章を下敷きに書いていたのですが大分内容が変化してきました。一説一説に結論をいそぎず、ゆっくり書いた結果だと思います。しかしこの文章にはどのような題名をつければいいのでしょうか。あまりにもまとまりのないとりとめのない文章となってしまったので「はじめに」といった具合でしょうか。

とにかくこの連載スタイルを続けることでまとまった文章もストックできそうなので、このまま続けていきたいと思います。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です