都留泰作『ムシヌユン』昆虫の感情

本作の完結は、特徴があるように感じた。最近の、といっていいのかわからないが、私が読む漫画の作品構造とは異なると感じた。私は、昨今の漫画は雑誌連載システムに順応した物語構造になっていると感じる。つまりそれはどうゆうことかというと、短期連載にも、長期連載にも対応可能な構造になっているのだ。例えば映画化が決定した『善悪の屑』は復讐屋の物語であるが、まずは作品設定の紹介があり、その後は数話完結の章が並ぶ。そのなかで大きな物語が少しずつ展開する。もっと有名な漫画の例を挙げると『名探偵コナン』などが該当する。このような構造は短期連載となった場合も始めと終わりを構成すればいいだろうし、長期連載にいたっては章を増やしていくことで対応できる。このような構造は連続ドラマにも見られ、増築可能な物語とでも呼ぶことができるだろう。

ムシヌユンは、おそらくであるが、

おそらくではあるが、雑誌サイドにとってリスクは高いだろう。短期にしようにも作品をコンパクトにするのは難しく、長期連載に対応する構造ではない。

だからといって「増築不可能な物語」が物凄い珍しいというわけでもないだろう。ムシヌユンはその中でも完成度が高いといえる。

そもそも「増築不可能な物語」であっても、連載中に人気を獲得する必要はある。ムシヌユンは

 

このようなスタイルは珍しいとはいえ

 

久しぶりにイイ漫画を読んだな、という感触を持った。この感触は90年代の「寄生獣」や「さくらの唄」に似た読後感に似たものだ。完結することで、作品の強度がさらに増す漫画だと思った。

漫画において、物語に確固たる全体像をもっていたとしても、作家の意図したとおりに完成しないことは、往々にしてあるだろう。それはやはり連載しながら、作品を完成させなければいけない雑誌システムが影響する。

漫画雑誌で連載を継続しつつ、物語の主導権を握りつづけるためには、読者から支持を得る必要がある。それがなければ、最悪、自分の意に反した内容の方向転換を余儀なくされ、物語をコントロールできなくなることもある。(昨今においては、人気が高い故、無理な連載継続を強いられ、物語としての強度を失ってしまうことも多い。)

ムシヌユンは作家性と商業性のバランスが絶妙であった。当初はヒロインが4人程度配置される、王道的な美少女漫画として展開、中盤は、移植された巨大な生殖器に翻弄される主人公というギャグ要素を含みつつ、序盤に進むにつれて、地球を侵略しつつある昆虫の正体を探っていくSF的な展開へむかっていく。

そして完結には印象的な言葉がある。

「虫の眼は人間の目と逆転している」という台詞が存在する。このことばが物語の伏線をみごとに回収していると感じる。

地球を破壊する虫は「邪心昆虫」と名付けられた。しかし科学的な調査により、種を保存するために進化を遂げる過程のなかで、結果的に惑星を破壊してしまっているだけである。ましてや「邪」などという感情すらもない、DNAとしてのプログラムとしてのみ動いているだけであったのだ。

この「邪心昆虫」は様々な昆虫と交尾を繰り返し、DNAを混合させて生物的な変化を遂げていく。人間の意識は外の環境に向けられ、自身の体内や種の変化というものには意識が向かわないが、虫は体内、種に意識が向けられているようでさえある。それはまるで「虫の眼は人間の目と逆転している」かのようであるのだ。

主人公は性交を通じてその結論にたどり着いた。唯一人間が種の変化に意識的になれる瞬間は生の交わりによる新たな生命を作り出すことである。邪心昆虫は羽や足などあらゆる不要な部分をとりさり、性器のみに進化し、それらがつねに接続された状態で機能し、タマゴも体内で産み落とされるように進化していた。性交工場のようになっていたのだ。

もちろん人間はそんなように効率的に行うことができない。恋愛という戯れ要素が介入してくる。主人公は意中の女性と性交することができない。

人気が低い場合、内容の方向転換を余儀なくされることもあるだろう

 

 

(漫画作品のなかには、連載中をピークにし、完結が近づくにつれて、盛り上がりが尻つぼみになるものもある。

 

例えば「アイアムアヒーロー」は

 

漫画連載において「物語を完結させる」ことは、容易なことではない、と感じる。連載では、人気を維持しなければいけない。人気が芳しくなければ、編集者から内容について

私の考える「しっかりとした結論」というものは、定型の終わり方ではなく、独自の結論を導き出せたかどうか、である。

青春漫画の傑作「さくらの唄」において、ヒロインが「はじめから自分信じてやってればよかったのよ」というコマはマンガ史に残るラストであっただろう。

ムシヌユンにおいても「虫の眼は人間の目と逆転している」という台詞が存在する。このことばが物語の伏線をみごとに回収していると感じる。

地球を破壊する虫は「邪心昆虫」と名付けられた。しかし科学的な調査により、種を保存するために進化を遂げる過程のなかで、結果的に惑星を破壊してしまっているだけである。ましてや「邪」などという感情すらもない、DNAとしてのプログラムとしてのみ動いているだけであったのだ。

この「邪心昆虫」は様々な昆虫と交尾を繰り返し、DNAを混合させて生物的な変化を遂げていく。人間の意識は外の環境に向けられ、自身の体内や種の変化というものには意識が向かわないが、虫は体内、種に意識が向けられているようでさえある。それはまるで「虫の眼は人間の目と逆転している」かのようであるのだ。

主人公は性交を通じてその結論にたどり着いた。唯一人間が種の変化に意識的になれる瞬間は生の交わりによる新たな生命を作り出すことである。邪心昆虫は羽や足などあらゆる不要な部分をとりさり、性器のみに進化し、それらがつねに接続された状態で機能し、タマゴも体内で産み落とされるように進化していた。性交工場のようになっていたのだ。

もちろん人間はそんなように効率的に行うことができない。恋愛という戯れ要素が介入してくる。主人公は意中の女性と性交することができない。

このようなモチーフはハンターハンターのキメラアントにも登場していた。蟻と王という社会従属性の話である。

 

ムシヌユンを読んだ。2巻発売当時から期待していた作品であり、しっかりと完結してよかったと思った。最近の漫画はヘンに長くしたりするところがあるがグダグダしなくてよかった。

作品的にはとても面白かった。何が面白かったというと「昆虫についてよくしらべているな、と感じた。

たとえば主人公はちんぽに昆虫に奇声されて頭がおかしくなっていくが、彼の身体におこる現象は昆虫をベースにしているのではないか、と思わせる部分がたくさんあった。犯すという感情も昆虫特有の感情なのではないだろうか、と思わせる部分があった。

昆虫学者は「昆虫の気持ちになりたかったが無理だった」と発言している。昆虫学者になりたかった青年が、奇しくも人類で一番昆虫の気持ちがわかる(昆虫になった)人間になってしまったという構図はきれいだなと思った。

青年はなんかいろいろな使命を背負って、同級生とセックスすることになるのだが、あっけないセックスに肩を落としてしまう部分がある。あれははたして昆虫の生理現象なのか、それとも人間特有の生理現象なのか、というところが気になる。昆虫人間になってしまった青年の行動のなかに、なにか人間特有の感情を含ませているような気がしないでもない。

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